~落書き帳~

かずです。どうぞよろしくお願いします。

スタートライン

ハロウィンが終わり、街にはクリスマスがやってきた。

年々気が早くなるこの季節。

ショッピングモールはクリスマス商戦へと突入していく。

そして僕らもさびしさを抱えたまま慌ただしくひた走る。

師走までもう少し。

2018年、お願いだ。まだもう少し一緒にいてくれないか。

 

 

出会いと別れと

 毎日見かける名前も知らないあの人がいなくなるようだ。

 恋というものではない、縁もゆかりもない人に出会い、そして別れる。道を歩けば数十人とすれ違っているのに出会ってはいない。だがふとしたきっかけで、知らない人から知っている人になる。そして、会うこともなくなっている。

 そんなことを繰り返していると、とても人と出会うということが儚く思える。

豚肉と卵炒め定食

 昼にお気に入りの中華料理屋でいただいた。

 「豚肉と卵炒め」といって侮るなかれ。豚肉にはしっかり火が通っているのに固くならず、卵もふわふわだ。

 とてもじゃないが、僕には作れない。「すごいな」と思った。

 僕が作ると、豚肉にしっかり火をいれたいがために炒め過ぎて肉が固くなり、卵もパサパサになってしまうのだ。ありがたいものだ。

お皿洗い

 食事をしたら食器を洗う。そしてまた食事をしたら食器を洗う。これを多いとき、僕は一日三回行う。十分にこれらができているか?もう一度自分に問う。

 丁寧にしているか?皿洗いは次の食事の準備だぞ。食事が生命を支える営みならば、お皿洗いもその一部だ。下ごしらえに含まれるだろ。

 明日のためにお皿を洗う。汚れを落とすだけじゃない。明日へと続いているんだ。滞りなく進めるための準備だ。

お前誰やねん

 僕は文章を書く。僕が文章を書くことで、僕が日々学んだり、体験したり体験していないことを誰かが読み、「あぁ、読んでよかったな」と思ってくれたら嬉しい。それに、「くすっと」笑ってくれたらもっと嬉しい。そして、かわいくて若くてボインな女の子が僕のことを好きになってくれたら最高だね。

 そしたら、ここは僕らの基地になるだろう。誰だって居場所が欲しいと思っている。そして居場所は自分で作る必要があるという。だけどさ、どんなに井戸を掘り続けたって地下に水脈がなけりゃ水はでないだろう。1人じゃ居場所はできないんだよ。

 僕がここに文章を書いていたって「今は」なににもならんのだ。だけどこのブログを読んで上述したような基地にするんだ。何かを作り出すには何かとキミが必要なんだ。

 Show the flag

視点の違い

 「日本史って暗記科目だよね。」大学受験を控えた頃、僕は歴史をこう捉えていた。710年平城京遷都(納豆ねばねば平城京)、794年平安京遷都(鳴くよウグイス平安京)、1192年鎌倉幕府(いい国作ろう鎌倉幕府)などなど、日本史に登場する語呂合わせは枚挙にいとまがない。おそらく歴史好きにとっては苦もなく覚えていったことだろう。知識として歴史上の人物や事柄を暗記することの重要性は僕も否定はしない。

 さりとて、知識だけを詰め込めばよいというものでもないし、歴史の因果関係を捉えようなどと当たり前のことを言うつもりもない。よく試験問題で問われる歴史資料の並び替え問題などは、歴史の因果関係や時代背景を問うてくる意図があるのはみなさんもご存じのとおり(暗記で乗り越えられるものでもあるけれど、僕が出題者なら試験問題から推測して答えてほしいと願うと思う)。

 むしろ僕は、日本列島に住んでいる人々をどうやって時の為政者はこの国を治めてきたのかという観点から歴史をみることを勧めたい。現在の僕は、平凡なサラリーマンで税金を払うのに四苦八苦している立場だから、歴史を学ぶときに農民だったり、町人だったりする立場が想像しやすい。ところが、日本をどのように治めるかということに諸外国との関係を含めて苦慮してきた人々の歴史(勝者の歴史)が残っているのだから、その人々の視点を想像しないと見えてくるものが見えてこないではないか。歴史の登場人物の立場を想像して日本の歴史を見てみるとまたおもしろいものが見つかるかもしれない。

 あくまでも歴史を学ぶときの話ですよ。これが行き過ぎると本来の自分の立場を見失いがちになるので気をつけましょう。僕が、戦国時代とかに生きてたら名もない人だったに違いないからね(現代では、ビジネス上で「経営者目線になれ」という言葉も見かけるが、実際に経営者かのような振る舞いを平社員がしてたら驚くでしょ)。

場所取り合戦

 ネットさえあればどこに住んでも同じだ。果たしてそうだろうか。交通インフラが発達し、物事の均一化が進んだ現代においては、たしかにそのように考える傾向はある。欲しいものはオンライン通販で買えるし、友人ともSNSでつながることができる。

 移動手段が限られていた時代、人は、食料や生活の物資を得るために移動した。徒歩であったり、牛馬であったり舟であったりしただろう。そして、人が集まるところに物資があつまった。そこに市場が形成されたからだ。この場所は、大量の物資が集積できる場所であり、大量の物資の運搬に適した場所であった。そう遠くない昔、そのような要衝を押さえることが重要視されていた。一方、交通インフラが発達している状況で、かつインターネットが高度に発達した現代、僕らは、今いるその場所で生活に必要な物資を得ようとしている。日本各地の特産品が通販で買える時代であり、テレワークで職場への通勤も無くそうという時代だ。

 このような時代であってもなお、僕らは「場所取り合戦」をしていることを忘れてはいけない。ネット技術を支えているのは、海底ケーブルやサーバーといったインフラ技術であるし、それらの敷設や設置には、海流や地形といった自然環境の制約を受けているのであるから、インフラ設置に適した場所というのは必ずあるはずだ(筆者はその点詳しくないが)。もちろん、資源の獲得競争も同じだ。

 そんなに遠くの世界の話じゃない。恋愛も同じだ。異性を探しに街にでるだろ。もしかして、アプリで済ませようとしているのか?一流企業の男を見つけに一流企業に入ろうとするだろ。それも同じだ。

 人が集まるところ、技術が集まることには必ず理由があり、僕らは、その場所を巡って日々戦っている。