『学問のすすめ』(1)
僕は、最近福澤諭吉先生に学問をすすめられている。
福澤諭吉先生は、君も知っていると思うけど、あえて紹介すると一万円札の人だ。
僕は、お金をとても大切にしたいと常日頃から心がけているので、福澤諭吉先生のことも大切に思っている。
ところが、僕は、福澤諭吉先生のことを大切にしたいと心がけながら、福澤諭吉先生の代表的な著作である『学問のすすめ』を読んだことがなかった。これでは、福澤諭吉先生が僕の財布に長居してくれないはずだ。人を大切にするということは、その人のことを知ろうとする行動が必要なのだから。
このことに気づいた僕は、福澤諭吉先生に僕の財布にできるだけ長く滞在してもらうために、『学問のすすめ』を書店で手にとったのである。
漢字①「共」
「共」という字の音読みは「キョウ」で、訓読みは「とも・ども」だ。
意味は「一緒に」だ。
例文は「僕と彼は少年時代に寝食を共にした仲だ」。
この例文だと「同じ釜の飯を食った仲だ」の方が使われているかもしれない。
人とのつながりを表す漢字だ。
スクワットの魅力について語ろうと思う。
僕はスクワットと聞くとどうしても中学校で経験した辛いスクワットを思い出す。
それは、15人ほどで円を描くように並び、点呼をとるように順番に回数を叫びながらしゃがんでは立ち上がるという動作だった。
あれから17年、今僕はジムの鏡の前に立ちバーを増帽筋(首から背中にかかる部分)のあたりで受けてスクワットをしている。
中学時代にとても苦しかったスクワットだが、今はとても楽しい。
なぜか。
バーの重さは、重りをつけて52.5㎏だ。このバーが重力に従って容赦なく僕の身体に負荷をかける。僕はバーに潰されないようにしっかり地面に足を踏ん張ってスクワットをする。僕は酸欠になり苦しくなる。
これをやり遂げたとき僕はこう感じる。
『バーに勝ち、重力に逆らった。ひいては、自分に勝った。今、僕は生きている。』
やってごらん。
先のこと
「まだ先のことなんだけどさ。」
僕は、人を遊びに誘うときによくこの言葉を使う。
「先のこと」
今ではなくて、先のことだ。
その時になって、誘った相手が覚えていたら嬉しい。
もし忘れていても仕方ないと思える。
そんな言葉の距離感。
自分が傷つかなくてよい言葉の距離感。
相手は、「予定が決まらなくて困る。」というだろう。
そんな言葉なのかもね。
変わらない日常
朝7時15分
僕が起きる時間は、毎日同じだ。
駅へ道順、会社に向かうために乗る電車、会社への道順も同じだ。
会社のデスクも同じだ。
夕方5時30分
家に向かうのも同じだ。
寝る前にすることも同じだ。
変わらない日常。
文の意図を読み取るには
文の意図を読み取るには、文の構造を把握する。
文は、主語・述語・目的語で構成される。
この3要素を把握することで、文の意図を読み取る。
特に重要な要素は、述語である。
次の例を挙げる。
①31歳の僕は、今日から小学生1年生の国語の勉強を始めた。
②31歳の僕は、小学校1年生の国語を学ぶ。
①と②の文の述語に注目する。①は「始めた」である。他方、②は「学ぶ」である。このように、①は「始めた」ことを重視しているのに対し、②は「学ぶ」ことを重視している。