自分だけをみる傲慢さ。
人生を謳歌している人には、積み重ねがある。
当人にとっては、その積み重ねですら楽しいのだ。
彼我の差を知る。ここから始める。
彼の積み重ねを認め、敬う。
自分の凡庸さを認める。時代が時代なら一兵卒にもなれない実力だと知れ。
率直に認めることでしか、彼我の差を知ることなどできないのだ。
他人はみな、人知れず積み重ねているのだ。他人を侮ってはならない。
自惚れを捨てる。
踊りましょう。
そんなことより踊りませんか。
2018年も1ヶ月が過ぎたよ。
あと11ヶ月、おそらくこの1ヶ月と同じように過ぎていく。
もし過ごし方を変えたいなら、1ヶ月に一言ずつ多く話しかけるんだ。
そうすれば、年末には手をとりあって踊れるさ。
1月
「おはよう」
2月
「おはよう、元気そうだ。」
3月
「おはよう、元気そうだ。なんかあった?」
4月
「おはよう、元気そうだ、なんかあった?そういえばもう桜が咲いていたよ」
………
12月
「おはよう、元気そうだ、なんかあった?そういえば、もう2018年も終わりだね。
そんなことより僕と踊りませんか。」
Papabubble(パパブブレ) 千葉店 散歩 探訪
あけましておめでとうございます。
久方ぶりの更新です。
今日はパパブブレ千葉店の紹介です。
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お店の紹介記事を書くのは初めてです。
さて、パパブブレ千葉店さん、とてもユニークなお店でした。
千葉そごうをぶらぶらと散策していると、眼前に黒山の人だかりがあらわれた。
「なんだろう」と近づいてみると、お兄さんが黄色い棒状のものを横に手を広げて伸ばしていた。「飴職人か。手練れの職人芸だ」と感嘆した。それはそれとして、店員さんが試食を配っていたので、1つ貰った。「ん?OSAKA?」飴にosakaと描かれていた。
店員さん:「これ、大阪限定発売なんです。ここは千葉なんですけどね(笑)」
たけじゅん:「ん?大阪限定発売の飴の試食を千葉でやっている…。興味深い(笑)」
僕は、こういうギャップが大好きだ。食べてみるとなかなかおいしい。ほかにも、戌年だから戌の絵柄のアメも売っているようだ。お土産に買った。県内唯一の店舗らしい。
飴の実演販売とかわいらしい絵柄のはいった甘美な飴が楽しめるユニークなお店だった。
勉強する意味
勉強する意味はなんだろう。
それは年齢によって変わるものだろうか。僕の場合は年齢によって変わった。小学校のときはテストのためと教師や両親に怒られないようにするためだった。中学校のときは高校受験のためだった。高校のときは大学受験のためだった。そのあとは司法試験のためだった。司法試験から離れて就職した30代のいまは何のためだろう。
目的はないけれど学びたいし、今も勉強している。勉強しなくても誰も怒らないしテストもないから点数が悪くて恥をかくこともない。それでも僕は勉強したい。今の僕は勉強することが楽しい。
その楽しみは社会に背を向けている楽しさなのかもしれない。
夏の風物
僕は打ち上げ花火が好きだ。
クーラーの効いた部屋から見るのではない。遠くから見るのでもない。
夏の汗にまみれた人だかりをかきわけて、もっとかきわけて、打ち上げ場所の間近で見る。
空気の振動を体で感じる。
空気の振動を感じとる耳。
音と僕だけの世界。
ふと、誰かのことを思い出しても、花火の音が僕を「ここ」に引き戻す。
恋人と見に行けば、打ち上げ花火の振動を感じ取ったお互いが、2人揃って
「ここ」にいることを喜び合う。仲間と見に行けば、仲間同士「ここ」にい
ることを喜び合う。1人で見に行けば、僕が確かに「ここ」にいることを喜ぶ
んだ。
地に足をつける
彼はふらふらしていた。足取りではなく心持ちがだ。
毎日、朝起きてご飯を食べて、仕事へ行き、夜には家に帰ってきて寝る。一見、立派に社会生活を送っているように見える。
ところが彼の心の中は、「どうとでもなれ」と投げやりになっている。まるで自分の居場所は「ここではない」とでも言いたげだ。彼も自分で自分は根無し草のように風に吹かれてどこか遠くへ行ってしまいそうだと気がついている。
僕は彼を見て危なげな奴だと思う。僕は、自分の居場所は「ここではない」と思う彼に僕なりの答えを示したい。
僕らが生きているこの時間からは目を逸らすな。君が居場所は「ここではない」と思いながら生きていること、これこそが生きるということだ。君が遠くへ行くのもよいし自分の居場所を探しに行くのもよい。だけど生きることは結果ではなくて、過程なんだ。地に足をしっかりつけて歩け。
道のりを楽しめ。
土井善晴『一汁一菜でよいという提案』を読んで
僕は1人暮らしで料理はあまりしない。作るのは好きだが、スーパーに買い物に行くことが面倒なのだ。スーパーに行かないので、野菜や肉などの生鮮品を食べることが難しい。普段の食事は、ごはん・納豆・卵・ソーセージ、あるいは外食が多い。
このような食生活を送っていると、うまいもの・栄養があるものをくれと30代の体が悲鳴を上げる。そこで僕は、土井善治『一汁一菜でよいという提案』を手に取った。読んでみると、ふむふむ、みそ汁を具沢山にするのか。そうか。そうか。
僕は早速、近くのドラックストアへ走る。かつお節、梅干し、カット野菜、味噌はインスタントみそ汁でいいか。買い物を終え、店を後にする。家に着き、かつお節、梅干し、インスタント味噌をお椀に入れ、鍋で湯を沸かし野菜を茹でる。野菜を茹でたら、茹で汁ごとお椀の中に入れる。これで完成だ。
いただきます。このみそ汁は、インスタントみそ汁にかつお節の出汁の深みが加わり、梅干しの酸味がちょうどよく、それでいて野菜がたっぷり摂れた。
これからがしばらく具沢山みそ汁が僕の食卓に並ぶことになりそうだ。
土井善治『一汁一菜でよいという提案』、僕はこの提案に賛同します。
※ちなみにごはんは、ツナの炊込みごはんでした。